つまるところ、鬼とは忌み嫌われる者だ。忌まれ疎まれ蔑まれそして、いつかは消え行くもの。例外もあろう、消えない場合もあろう、だがだからと言って堂々と生きていられる訳では無い。この場合の例外は八葉のリズヴァーンであって、弁慶は彼は確かに例外であると捉えていた。八葉として、確かに堂々とはしている。だが世間に対してはそれはごく薄いものであり、堂々では無く隠匿生活をしていた。九郎の「先生はあまり外出なさらない」も結局これが所以であろう、外出しない、誰にも会わない、隠遁。誰にも好かれず誰にも好まれず誰にも愛されず誰にも招かれず、誰からも嫌われ誰からも恨まれ誰からも呪われ誰からも離れられる。 鬼、鬼、鬼。言葉にすれば何とも簡単な言葉である。呪われた言葉、のろわれたことば、のろわれた言葉。鬼。弁慶はその言葉をかみしめる様に目を閉じた。目の前の彼は言う、「私は鬼だ」。何度聞いた事か、その台詞。もう、何度も聞いた。何度も知った。何度も理解した。
いや、理解していたのか、自分は。
「僕はね、思うんです、リズ先生」
言葉には笑みが含まれていた気がする。笑っているのか、自分は、何て事だ。滑稽な姿。けれどこれだけは言わなくてはという責任感と義務感と使命感。誰に命令された訳でも無いというのに。いや、自分自身に命令されているのか、それは考えすぎか。
「貴方は確かに、確かに鬼だ。鬼以外の何者でもない。それは認めます、認めるべくして認めなければならない。けれど、僕も鬼だ。実の親が、鬼だと断定したんです。ならば僕は確かに鬼なんでしょう。それも、認めるべくして認めなければならない否定の仕様の無い過去という事実なんですよ」
鬼若。それが自分に付けられた名。名付けたのは鬼だと言った父では無いけれど、叔母はどうしてまた『鬼』と言ったのか。鬼、忌まれる者。鬼、嫌われる者。鬼、疎まれる者。鬼。蔑まれる者。鬼、恨まれる者。鬼、呪われる者。鬼、終わりの者。嗚呼確かに自分は鬼だと思う。鬼以外の何者でも無いだろう。間違いは無い。忌まれた事も嫌われた事も疎まれた事も蔑まれた事も恨まれた事も呪われた事もある。全て経験済み。それは勿論自分だけではなくて、目の前の彼だってそうなのだろうけれど。
「別に優劣をつけるつもりは、無いんですけどね。誤解の無い様にそれだけ先に言いますが。…結局、僕は思うんです。貴方は鬼、僕も鬼。…けれど、きっと姿形が違うんでしょう。貴方は鬼の姿をした人。…そして僕は、人の姿をした鬼。どちらも嫌われ、疎まれるでしょう。優劣なんてなく、ただ等しく、呪われるでしょう」
鬼は嫌われ蔑まれ疎まれ恨まれ呪われる。その存在が故に。それ以外の、というよりもそれ以上の理由が無い。鬼の姿をした人は、人を愛した。人の心を以てして、人を愛した。けれど人はそれを蔑んだ、見た目が鬼だ異端だと言って、愛さえも恐怖した。人の姿をした鬼は、人を愛せなかった。鬼の心を以てして、人に愛を見出せなかった。勿論人はそれを赦さなかった、心が冷たいと鬼だと言って、そうしてその鬼を呪った。
「鬼が、悲しい生き物だとは言いません。けれど、けれど、孤独な存在だとは、思いませんか、リズ先生」
「…それは、神子を愛してしまったことへの、懺悔か、弁慶」
彼の言葉に、弁慶は動きを止めた。嗚呼確かにそうかも知れないと思ってしまって、その瞬間に、懺悔と認めた瞬間に弁慶は、暗い穴の底に落ちていく気がした。
(そもそもどうして僕は、こんな話をしているんだろう。…何か、何か許して欲しいものでもあったのか。)



(人は鬼よりも強いという話。)










鬼さんこちら、手の鳴るほうへ、






















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