この広く大きな空の向こうから俺たちの世界へ、白龍の神子が来て二年が経つ。神子―――もとい望美はすっかり平泉に馴染んでしまった。今では『白龍の神子』ではなく、ただ一人の『春日望美』として時を過ごしていた。それは、譲も、そしてその兄である将臣も同じだった。平家との戦、それから兄上との戦が終わった後に彼らは元の世界へ戻らなかった、戻りたがらなかった。どうして戻らないのかと問えば、彼らは…というよりも望美は言葉を濁して答えなかった。そんなものだから、望美が帰らないのならと言って譲も頑として帰りたがらず必然的に、将臣も帰らなかった。後からヒノエに聴いた話だが、望美は弁慶と恋仲にあったとのこと。だから帰りたがらなかった、別れが辛かった、離れたくなかったということだ。弁慶に問い質すと、「望美さんは、いけない人ですよね」と笑っていた。嬉しそうに、至極嬉しそうに。
結局三人ともこの世界に、平泉に残る事になった。俺としては、勿論名残惜しいのはあったから嬉しくないと言えば嘘になる。だが、疑問だけは残された。三人とも本当に帰らなくて善かったのか、お前達には家族が、心配する者が居ないのかと。
「九郎、何してんだ」
ある夜、縁側でぼうっとしていると声を掛けられた。振り向いた先に居たのは将臣で、片手に酒を持っていた。自分の対の男。元、還内府で、元平家、俺たちの敵。平泉に向かう途中こそいがみ合っていたが今ではもう過去のこと。対というのも過去のこと、今ではすっかり、仲の良い、所謂友人という存在に、なっていた。
「いや、少し考え事を」
「考え事」
ふん、と将臣が頷く。そのままゆったりと近寄って隣に座った。人一人分程の隙間を空けて、そこに酒瓶を置いた。重ねていた杯を手に取り、とっぷりと注ぐ。それをくいっと呷った。この男は酒に強い。阿呆みたいに強い。よく二人で飲むが、むきになってこの男よりも多く多くと考えると必ず先に意識が遠くなる。そして最後に見る光景は必ず、ぐてぐてに酔った顔で勝ち誇った笑みを向ける将臣の顔だった。
「何を考えてたんだよ、お前らしくもない」
「…どういうことだ。俺だって、考え事ぐらいする」
「頼朝のことか」
「いや、…それは、違う」
結構痛い所を突いてくる。源頼朝、鎌倉殿、兄上。正直に言えばそれはいつまでもいつまでも気に掛かっている事で、しかしあの戦いの後、兄上からの連絡は途絶えた(同時に景時とも連絡が取れず、朔殿が酷く居たたまれない)。仕方の無い事だと思ったし、望美も弁慶もヒノエも先生も他の皆も、それで善いと思っている様だったからなるたけ考えない様にしていた。俺だけ考えてしまうのは仕方ない兄弟なのだからと望美に諭された事があるが、そうは言っても一人だけ拗ねる様にうじうじと考えているのは格好が悪いし、皆に申し訳が無い気がした。勝手に申し訳無く思っているのは俺自身だが。
「じゃあ、何だよ」
俯く様にして首を振った俺を怪訝に見遣って、杯を置いて将臣が訊いてきた。真剣な顔、真剣な顔に見えるが、こいつの考えていることは読めないというのは散々解っている事だ。俺は観念した様に口を開く。一人でぐるぐる考えた所で堂々巡り、一人で思いを馳せた所でただの予想、最終的には本人に訊かなければ真相は解らないのならば、今訊いた所で変わりない。今訊かなくてもいつか訊くのだから。いつかが、今来ただけ、それだけなのだから。
「…お前達、本当に元の世界に帰らなくて善かったのか」
「は」
目をぱちりと瞬かせて将臣が訊き返す。何を今更、瞳がそう語っていた。ひどく滑稽な程に、それは確かに何を今更。今更過ぎて、呆れてしまう。
「いや、だから、言葉通りの意味で。…此処に残って善かったのか?」
「……お前、そんな事ずっと一人で考えてたのかよ?」
そんなこと。そんなことを言われてしまった。そんなことなのか、どうでも善いことなのだろうか、やはり今更?悪いか、と将臣から目を反らすと、将臣はくっくっくと楽しげに肩を揺らした。失礼な奴め。
「笑うな。俺は本気で考えてたんだぞ」
「あぁ…ああ、悪い悪い。あんまりにも今更なもんで」
「今更なことぐらい、解っている」
それぐらい解っている。解っている。解っている。理解しているつもりだ。一応、意識の上では。
「…あのなぁ、九郎?望美が帰りたがらなかった理由は、もう知ってるよな?」
「あぁ…弁慶と、離れたくなかったからだろう」
「そうだよ、じゃあ、譲が帰りたがらなかった理由は?」
「望美が帰りたがらなかった、から?」
「うん、まあそんな感じ。正しく言えば、望美と離れたくなかったから。相手こそ違え、譲も望美も理由は一緒だ。じゃあ此処で問題。俺が帰らなかった、帰りたがらなかった理由は?」
「………二人が心配だから?」
「ふうん?」
「お前は望美の幼馴染みだと言うし、譲の兄だ。二人が心配で、一人だけ帰る訳にはいかなかったから、という事じゃないのか」
「成程。模範解答だな」
「…からかっているのか」
「いや、俺は至って真面目だぜ」
いやその顔は真面目じゃない。にやにやと笑んだまま将臣は二杯目の酒を注ぎ、呷る。一人で飲んでしまう気か。いや別にそんな事はどうでも善いのだが。将臣はたっぷり時間を持たせる様にして杯を置いてから再度こちらを向いた。
「まあ、敢えて言うならお前の答えは上出来だ。でも点数にしてみたら八十点て所だな。満点には足りねぇ」
「…点数…」
「そ。お前がそれで満足出来るんなら、俺はそれで善いと思うぜ?それが理由で善いさ。俺が、此処に残った理由。あの二人が心配だから。うん、構わねぇよ、上出来」
「…でも、ちょっと待て。満点じゃないって事は、その理由がお前の本当の理由じゃないって事だろう。それじゃ駄目じゃないか」
「駄目か?」
「駄目だ」
駄目に決まってる。俺は本当の理由が知りたくて尋ねたのだ。自分の予想で満足出来る様なら最初から訊いていない。当たり前だ、当たり前過ぎて、当たり前だ。将臣はふんと少し笑って、そうか、と呟いた。
「まあ…問題を出したのは俺だ。精々、頑張って考えるんだな」
「はぁっ?」
「俺はそう簡単に答えを教えてやる気はねぇよ。折角だから自分で考えろ。まぁ気にすんな、当たってたら、あたり、って言ってやるから」
「……」
「ま、いいさ。酒でも飲んでゆっくり考えろ。俺は逃げたりしねぇから」
逃げたりしないから。それだけ言って、杯を俺に持たせ酒を注いでくる。どうしたものかと少しの間それを見つめて、結局呷った。このまま酒盛り決定。困ったもので、このままじゃ考えろなんて到底無理だ。解っているのかこいつは、多分解っちゃいないだろう。俺の気持ちも俺の心情も俺の情況も。俺は心配して言っているって言うのに。
結局そのまま、夜は更けた。縁側から室内へ移動して、更に酒を持ち出して、酔って酔って酔って酔って、酔い潰れて、最後に勝ち誇ったあの笑みを見て。気付いたら朝になっていた。まぶしい、朝日が眩しい。隣で将臣が潰れている、爆睡、している。頭ががんがんと割れる様に痛くてこのままじゃ動くなんて無理だと判断した。まあ平和な平泉、何かあれば弁慶が知らせてくれるだろう。それまでは忘れて眠る事にした。結局なしくずし、意味も無く、崩れていくように。隣で寝ている将臣に薄布を掛けてやって、俺もそのまま寝た。おやすみなさいとは、言わなかったが。



(言える訳がねえだろ、自分の口でなんか。望美と譲と同じ、結局九郎、お前と離れたくなかったからなんて、さ。自分で言うのは、恥ずかしいにも程があるってもんだぜ)










グッバイトゥモロー、ハローイエスタデイ。






















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送