もしも世界が終わるのならばと考える事がある。
世界が終わるというのは曖昧な表現で、つまりは自分の死さえもそれに含まれるのだが、彼の死もある意味では世界の終わりに近いのかも知れない。だから自分はあんな命令をしたのだ。今ではそれを悔やむ事などしない、する筈が無い。何故ならば自分が死んで(世界が終わり、)譬え彼が絶望しても、彼が生きているというのならばそれだけで自分の世界は安らかに眠る。ああ目の前で笑う彼が生きてくれるならばそれだけで。
けれど一つだけ願い事があるのだ。
「なぁスザク」
「なんだい、ルルーシュ」
この浅ましい願い事を彼は聞き入れてくれるだろうか。譬え聞き入れてくれるだろうと考え知った所で、自分の矜恃がそれを許すまい。“友達”として接してくれているあいつの気持ちを裏切る様な気がして、しかしこれは勝手な想像に過ぎないが。
「もしも世界が明日終わるとしたら、最後に誰に会いたい?」
「…、おかしな事を訊くね」
スザクは笑っていた。俺の想像や妄想や浅ましい願望を知りもせず、ただ純粋に。この笑顔を見る度に思い知らされる、自分はこの純粋さがたまらなく好きなのだと。それこそ、ナナリーと比べてしまう程に(だが比べた所でいつも答えは出ない、それ程に二人は重すぎて、)。
「そうだな…、ゼロに会いたい」
「…ゼロ?」
「うん。明日で世界が終わるのなら、もうゼロと争う必要も無いし。最後に彼に会って、きちんと話をしてみたいんだ」
この純粋さが、たまらなく好きなのだ、と。
「…ふぅん…なるほど?」
「ん、何その顔。ルルーシュは居るの?最後に会いたい人」
「俺は…、ナナリーと一緒に居られればそれでいい」
「やっぱり」
そしてまたスザクは笑う。純粋に、純粋に、この嘘を信じて。純粋に、純粋に、甘い願望を抱いて。どうしようもなく俺は嘘吐きで狡い人間だと自分でよく解っている、けれどどうしようもないから、ただ俺はまた嘘を重ねる。ああけれど良かったよ、お前が最後に会いたいと願うのがこの俺で。譬え偽りの姿だったとしても、譬えその素性を知らなくても、それでもお前が会いたいと、最後に見たいと願うのがこの俺であって、良かった。けれどその願望は叶わないだろう。もしも明日世界が終わるとしても、きっとお前と俺は出会わない。その糸は絡まらず、その意図は交わらない。それはきっと不変の事実。
けれど。

(願わくば、世界の終幕の時にはもう一度お前に会いたいよ、スザク。)










世界が終わる前にもう一度君に会いたい





















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