「…俺はアホか」
はー、と政宗は頭に掛けたタオルを掴んで言った。目の前には、暖かそうな毛布にくるまれた先程の、子供。
結局、結局。あの子供を拾ってしまった。捨てられたのか何だか知らないが、あの薄汚れた犬を。結局自分は見捨てられなかったということで、それはつまり、
「………お人好し?」
小さく呟く。何だかそれは今の自分にぴったりの気がして、無駄に気が重くなった。政宗は大学生で、自分一人生活していくので一杯一杯だ。勿論ペットを飼う余裕は無いし、それが人型の人獣となれば尚更である。だのに何故自分はこの子供を拾ったのだろうか。先刻からそればかりがぐるぐると政宗の頭の中を巡っているが、明確な答えは弾き出せない。ということは無意識下の行動なのだろうか。…無意識下で、子供を拾ったりするだろうか。
うんうん唸って考えた所で答えが出ない事に政宗は嫌気が差して、重く溜息を吐いた。あとで誰か知り合いにでも電話して、面倒見てもらおうとそれだけを考えて。とりあえずはこの子供が起きるのを待つばかりなのだが、なかなか起きない。濡れた体は拭いてやったし古傷に混じってあった真新しい傷も手当てをしてやった。なのであとは起きるのを待つだけである。それなのに起きない。実は政宗が子供を拾ってから既に一時間程経っているのだが、ぴくりともしない。呼吸をして胸が上下しているから生きてはいるのだろうが、ならば気絶か眠っているのか。叩き起こすしか無いだろうか、そう思って政宗は、その子供の頬へ触れた。
「…うー…」
と、その瞬間。
子供が眉根を寄せて身動いだ。政宗は慌てて手を戻し、じっと見つめてその様子を眺める。子供は小さく唸ってもぞもぞと動き、手探りに毛布を握るとぎゅっとそれを引き寄せた。少ししてから、手に触れたその毛布を不思議に思ったのかゆっくりと目が開く。瞳の色は亜麻色だった。
「…おい、大丈夫か?」
顔を覗き込む様にして、政宗はその子供を見つめる。じっと見ていると、声に反応した様に子供は政宗を見た。多分犬、であろうふさふさの耳がぴくぴくと動く。亜麻色が、政宗を、見た。瞬間、子供はその瞳を見開いてばっと体を起こす。毛布がはらりと落ちて、子供は政宗と反対側の部屋の隅へ逃げてしまった。政宗が手を伸ばす間も無く。
「おいおい…」
政宗は腰を浮かしてそちらへ近寄ろうとする。が、そうすればする程子供は部屋の隅に体を押しつけて、小さな体躯を強張らせた。どうやら怖がっているらしいと気付いて、政宗は腰を下ろした。どうしたら善いか解ったものじゃない。解る訳が無い、小動物の扱いなんて。暫く政宗と子供の視線が交わったまま、時が過ぎた。どちらも動かない。こと子供に至っては、指一つ動かさないで政宗の様子を窺っている。手負いの獣という言葉があるが、あれは正しくこれの事で言い得て妙だと、政宗は変に感心していた。
先に動いたのは政宗だった。は、と薄く吐息をして、呆れた様な顔をする。そのまま立ち上がって、子供を無視して台所へ向かう。子供は政宗が立ち上がるとびくっと肩を竦ませたが、政宗が自分の横を通り過ぎたのを見て不思議そうにそちらを見た。政宗はそれを無視したまま、夕飯を作り始める。もうどうでもいい。放置して、あとで誰かに押しつけてしまえばいい。知った事じゃない。
「……ん?」
夕飯が大分出来てきて、あとは殆ど盛りつけるだけとなった頃。ふと、政宗は足元に温もりを感じてその手を止めた。ゆるりと見下ろすと、そこにはあの子供が居た。怯えた様な雰囲気は未だにあるが、どうやら何かに興味をそそられて近寄ってきたらしい。しかしこの状況で興味と言えば、今作っている夕飯ぐらいしか無いだろう。政宗は、じーっと子供を見下ろした。子供も、じーと政宗を見上げている。先程と同じ様な沈黙が降りるかと思った瞬間、ぎゅるる、という音が聞こえた。政宗は目を丸くして子供を見遣ると、子供はさっと腹を抑えた。今の音は、子供の、腹の虫が鳴いた音。
「…腹減ってんのかお前」
そう尋ねれば子供は少しだけ迷う様に視線を泳がせてから、こくこくと頷いた。ふうん、と政宗は小さく首肯し、食器棚から小さめの器を二つ探し出す。それを自分の器の横に置くと、完成した夕飯(ちなみに今日は肉じゃがである。)を盛りつけた。小さい器は勿論子供の分だが、箸が無い事に気付いてフォークを取り出す。肉じゃがをフォークで食べる姿は出来る事ならば見たくないが今は仕方ない。政宗はそんな事をつらつらと考えて、肉じゃがを盛った器を盆の上に載せた。それから自分の茶碗と、もう一つの小さな器に白飯をよそって、それも盆に載せた。その盆を両手に持つと台所を出てリビングに向かう。向かう直前で、こっち来い、と子供に声を掛けて。
リビングのテーブルに肉じゃがと白飯を置くと、子供を椅子に乗せてやった。少し背が足りないらしいので、先程の毛布を畳んで椅子の上に置き、その上に子供を乗せる。これで何とか手が届く様だった。いただきます、と政宗は合掌して食べ始める。ふと、少しばかり困惑した様に料理を見つめていた子供に気付いて、箸を止めた。
「食っていいぞ、それお前の分」
そう言うと、子供はぱっと顔を輝かせてフォークを掴み、がつがつと肉じゃがを食べ始めた。その勢いを見る限り、かなり腹が減っていたらしい。政宗は一度きょとんとそれを見たが、威勢良く食べる子供の姿に少しだけ笑みを零して、それから自分もまた食事を再開した。二人分の食事の音が、雨の音に混じって室内に響いた。

あとで政宗が何人かの知り合いの所に電話を掛けてみたが、誰も彼にもそんな生き物を養う余裕は無いと言われた。それこそ口を揃える様にして。そういえば、バイト先の知り合いと話した時にある情報を仕入れた。
「何つーか、あのガキ、喋らねぇんだけど、ほとんど」
「ああ、そりゃそうでしょ。だって確か『人獣』ってかなり知能指数低いらしいからね〜。稀に、頭の良いのも混じってるらしいけど、大半が頭悪いよ、人の形はしてるけどね。まあ、政宗の言ってる事理解してるだけでも結構儲けモンじゃない?」
との事。つまりそいつの話によれば、政宗の言う事は理解するが、それを自分の言葉として発する事は出来ないだろうと言う事だった。後から覚える可能性も、あるとは言う事だが。少しだけ面倒であるが、まあ仕方ない。そいつの言う通り、こちらの言葉を理解してくれるだけでも儲けものである。
最後の電話を切って、政宗は子供の方を見遣った。子供は今、腹一杯になるまで夕飯を食べてソファの上で毛布にくるまってぐっすりと眠っている。政宗はその様子を目にして少しの吐息をした。
斯くして、政宗とこの子供の奇妙な生活が始まった。










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