「あなたは、利家を抱いたことがあるのですか?」
唐突過ぎた質問だった。政宗は僅かに目を見開いてその声の主を見遣る。男は、白銀の髪を揺らしてにやにやと厭な笑みを浮かべて、居た。あなたは利家を抱いたことがあるのですか。頭の中でもう一度その言葉を繰り返す。抱いたことが、抱いたことが。少しの沈黙の後に、一息ついてから、答えた。渋々と。
「ねェよ。それがどうした」
「おや、可笑しいですねぇ?」
可笑しい、何が?政宗は怪訝に眉根を寄せて男を、光秀を見遣る。日差しが暖かい。前田と同盟を結んだ伊達の元へ、明智光秀がやって来たのはつい先程の事だった。番犬の様に警戒する小十郎からその名を聞いた時に政宗の胸に浮かんだのは正しく不穏。だが続いた言葉に、耳を疑った。明智は武器を所持しておらず、戦をしに来たのではないと言ったと言う。小十郎も、他の部下達も、当惑した様だった。ぬけぬけと。政宗は小さくそう呟き、それでも、その客人を城の中へ通したのだった。
光秀は本当に話をしに来た様だった。しかも、同盟関係にある前田と伊達との仲についてを。同盟を結んだそうですね。前田利家とはお知り合いですか。前田利家の妻や、あの甥ともお会いしましたか。前田家はどういった印象を受けましたか。定期的に連絡でも取り合っているのですか。…そういえば光秀は確かに織田の配下にあるのだから、前田家と関わりがあっても可笑しくないのだと政宗は思った。事実、伊達当主の政宗と前田当主の利家が恋仲にある事も、知っているらしかった(これは物凄く不愉快な気がしたが、まあ仕方無い。)。だがそれだけだ。どうして、この男は今になって前田と伊達の交友関係を知りたがるのか。それだけが政宗の胸中の唯一の疑問だった。
「何が、可笑しいって言うんだ、えぇ?」
「可笑しくて、仕方がありませんよ。…まだ、利家を抱いていないのですか」
確認する様に光秀が言った。そうして、クックッと笑い出す、肩を揺らす。酷く不愉快な気分になった。この男は何が言いたい、この男は、何を知っている。
「ねえ、独眼竜…あなた、知らないわけ、ないでしょう」
「…何をだよ」
「利家が、かつては信長公の小姓だった事ですよ」
至極何でも無いように唐突に突然に、光秀はそう言った。あのにやにやの笑みを浮かべたまま。政宗はその言葉を、耳にして、そして動きを止めた。今、光秀が口にしたその事実は、前田利家が、あの魔王の小姓だったという、過去は、
政宗の知らない、利家の一面だった。
小姓。身の回りの世話をする子供。寺稚児の様な存在。この時代に小姓を傍に置くのは別に珍しい事でも何でも無いし、小姓が床の世話をする事だって別段可笑しな事では無かった。政宗は小姓を持たずに居たが(身の回りの世話なら小十郎や他の者がやってくれるし、床の世話は必要が無い。)、小姓に対して嫌悪を持っている訳でも無かった。自分には必要無いが、居たら便利だろうぐらいに思っていた。だからもしこれが利家の話で無ければ、政宗は動揺する事も思考を止める事も目を見開く事もしなかったろう。これが、利家の話で、無ければ。
「…おや、知らなかったんですか。可笑しいですねぇ…利家はとっくにあなたに話していると思っていましたが…、後ろ暗いのでしょうか」
それはそれは愉快そうに光秀が言う。政宗は何も言い返せずにいた。ただただその事実と言葉を雨の様に体中で受け止めて、そしてその意味を理解する事が、今現在の政宗に出来る唯一の行動だった。
「信長公は、それはそれは利家をお気に入りで…あの時はまだ幼名で、犬千代と呼ばれていましたから、よく、犬、犬、と気軽に呼んでいましたよ。丁度、愛玩動物か何かの様に、ねぇ。それに、信長公はよく利家を床にも呼んでいました。利家も、それを良しとしていたのか…嫌な顔は、していませんでしたね…兎に角、互いが互いに執心していた様ですよ…この私が、嫉妬してしまうほどに、ねぇ…」
瞬間政宗の頭に浮かんだのは、あの愛しい利家が信長に蹂躙される姿だった。利家の乱れる姿を自分は見た事など無いのに、容易に想像出来てしまう。或いはそれは、光秀の言があったからかも知れないが。
酷く不愉快だった。光秀の言葉も利家の過去も自分のこの想像さえも。酷く不愉快で、酷く落ち着かなくて、酷く不安になった。過去は過ぎ去ったものという意味で、自分は執着しないものだと政宗は今まで自負してきたし周りの者もそう思っていた。だというのに、何だこの動揺は。政宗は今、酷く、酷く、呆気ない程に、まるで乙女の様に、利家の過去に、裏切られた気分を味わっていた。敗北感と殺意をない交ぜにした様な、気分。そしてじわじわと自分の首を絞められている様な感覚。これはひどく、きもちわるい。
きもちわるい。
「…どうしました、独眼竜。……些か顔色が、優れない様ですが…」
「……、小十郎」
顔を覗き込む様な仕種の光秀の言葉を無視して、政宗は小さく小十郎を呼んだ。小十郎が静かに襖を開けて、此処に、と僅かに頭を下げる。光秀の顔も小十郎の顔も見ない様に目許を手で隠して(それが自然な仕種になる様に、)政宗は言った。
「お客様がお帰りだ。…門の外まで連れていけ」
「は、」
小十郎が直ぐにその言葉に従い、部屋へと入ってくる。光秀はその政宗の言葉を気にした様子も無く、小十郎に促されるままに立ち上がった。そうしてあのにやにや笑いをもう一度政宗に向けて、そして踵を返した。襖が閉じられる。
政宗は小さく息を吐いた。










蹂躙する過去の神





















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